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建物を原状回復させずに鍵を返却してきた借主に対して、貸主が原状回復工事を終了させるまでは、明け渡しが完了していないとして、賃料を借主に請求できるのでしょうか。
原状回復工事が完了するまで賃料が発生するという内容の契約書は、比較的よくある定めですが、実際にトラブルになった場合どのような対応が良いのか、弁護士が解説します。

原状回復工事が終わるまで、明け渡しが完了していないといえる!?

「原状回復工事が不十分な場合、原状回復工事が終わって、はじめて明け渡しが完了したといえる。そのため、原状回復工事が終わるまでは、明け渡しができていないのだから、賃料も発生して当然だ!」こんな主張を行いたいと考える大家さんは多いと思います。実際、ペットや喫煙によって、荒れ果てた部屋が戻ってきたときの心境は想像を絶するものがあるでしょう。ペットや喫煙に留まらず、近年は文化や慣習の異なる外国の方が居住することによって、悪い意味で見違えた部屋が戻ってきたなんて話も聞きます。「原状回復工事が終わっていないから明け渡しも終えていない」という主張ができるのかどうか、裁判例と実務的な観点からみていきましょう。

まず、明け渡しと原状回復工事の関係性については、概ね裁判例の傾向としては、契約の内容等によって、原状回復工事が明け渡しの前提として必須かどうかという観点から判断しているように思います。といいますのも、そもそも原状回復工事と明け渡しが問題になるケースが、単純な居住用賃貸と異なり、商業用テナントや高額な賃貸など、やや特殊な賃貸物件が前提になっていることも考慮する必要があるでしょう。たとえば、飲食店のような商業用テナントですと、テナント側で内装や調理機器を設置するものの、退去時にはスケルトンにして返却することが契約内容に組み込まれていることが多く、このような場合には、さすがに鍵を返しただけではダメで、スケルトン工事まで行わねば返したことにならないよ、ということになりやすいと言えるでしょう。

少し古い裁判例ではありますが、昭和60年7月25日東京高等裁判所判決では、以下のように判旨しています。

(判旨引用)
当事者間で交わされた契約書には、「賃借人は、賃貸借契約が終了したときは、賃借人の加えた造作、間仕切、模様替その他の施設及び自然破壊と認めることのできない破損箇所を賃貸人の指示に従って契約終了の日から一五日以内に賃借人の費用をもって原状に回復しなければならない。」、「賃借人は、右の条項による明渡完了に至るまでの賃借料及び付加使用料に相当する金額を賃貸人に支払い、なお損害のある場合にはこれを賠償しなければならない。」との各条項が記載されていることが認められるところ

賃貸人の指示に従って原状回復工事を行わなければ、明け渡しが完了するまでの賃料等を支払わなければならない、と読める条項を設けてはいるのですが、続く判旨にて、

(判旨引用)
本件建物のような営業用建物の賃貸借契約の実情に照らして判断すれば、その趣旨とするところは、賃貸借契約の終了に伴う目的物の返還義務と原状回復義務とは本来必ずしも一致するものではないけれども、賃貸人が新たな賃貸借契約を締結するのに妨げとなるような重大な原状回復義務の違背が賃借人にある場合には、これを目的物返還義務(明渡義務)の不履行と同視して、賃借人は賃貸借契約終了後一六日目から右のような原状回復義務履行済みに至るまで賃料相当額の損害金を賃貸人に支払わなければならないとするにあるものと解するのが相当である。したがって、右の程度に至らない程度の軽微な原状回復義務の違背があるに過ぎない場合においては、賃貸人は、それによって被った損害の賠償を請求し又はその代替履行のために要した費用の償還を請求することができるのは格別、当然に賃料相当額の損害金を賃借人に請求することができるものではない

と、原状回復工事が終わらなければ明け渡しが完了したとはいえず、賃料を常に支払わなければならないということではなく、「賃貸人が新たな賃貸借契約を締結するのに妨げとなるような重大な原状回復義務の違背が賃借人にある場合には、これを目的物返還義務(明け渡し義務)の不履行と同視」して、明け渡し義務が履行されていないので、それまでの賃料が発生する、と判断しています。この裁判例では、次の契約ができないレベルの重大な原状回復義務違反がある場合には、賃料相当額の工事も認めるという判断なので、読み方としては、原則として完全な明け渡しまでの賃料相当額の損害賠償請求は難しいといってもよいでしょう。

実務的な解決と予防策:契約書よりも善良な入居者を

「原状回復工事が終わるまで、鍵を受け取らず、賃料請求できるのか?」といのは、主に営業用テナントで裁判例もある状況ですが、居住用の賃貸不動産では、そもそもこのような主張をする前に検討すべき事項があると思います。たとえば、営業用テナントであれば、店舗側も事業規模が大きく、裁判に勝てば損害賠償請求金を受け取れる可能性がある一方、一般的な居住者相手に裁判して勝っても相手に払える金銭があるのか、という支払い能力の問題が浮上します。

また原状回復工事金額についても、店舗などの事業用物件と異なり居住物件であれば、金額が大きくなく、そもそも裁判までやってよいのか、という問題にいきあたります。すなわち、一般的な居住用不動産では裁判例にしたがって裁判で争うこと自体が難しく、大家さん側からすれば「泣き寝入り」になるかもしれませんが、争わずに損切りして、早く原状回復して新しい居住者をいれたほうがよい、という判断もあり得ると思います。

そうすると、このような状況になってしまった後に被害回復するのは難しく、そもそもこのようなトラブルにならないように、優良な賃借人を見つけてくるというのが一番の予防策になると言えるでしょう。弁護士がいうと元も子もないかもしれませんが、本件のような状態であれば、「居住者に原状回復工事を請求できる契約書に仕上げる」よりも、「そもそもトラブルになりそうもない善良な賃借人を見つける」ことのほうが大事だとアドバイスすることになるでしょう。

 

 

著者:山村 暢彦
弁護士法人 山村法律事務所
代表弁護士

実家の不動産・相続トラブルをきっかけに弁護士を志し、現在も不動産法務に注力する。日々業務に励む中で「法律トラブルは、悪くなっても気づかない」という想いが強くなり、昨今では、FMラジオ出演、セミナー講師等にも力を入れ、不動産・相続トラブルを減らすため、情報発信も積極的に行っている。
数年前より「不動産に強い」との評判から、「不動産相続」業務が急増している。税理士・司法書士等の他士業や不動産会社から、複雑な相続業務の依頼が多い。遺産分割調停・審判に加え、遺言書無効確認訴訟、遺産確認の訴え、財産使い込みの不当利得返還請求訴訟など、相続関連の特殊訴訟の対応件数も豊富。
相続開始直後や、事前の相続対策の相談も増えており、「できる限り揉めずに、早期に解決する」ことを信条とする。また、相続税に強い税理士、民事信託に強い司法書士、裁判所鑑定をこなす不動産鑑定士等の専門家とも連携し、弁護士の枠内だけにとどまらない解決策、予防策を提案できる。
クライアントからは「相談しやすい」「いい意味で、弁護士らしくない」とのコメントが多い。不動産・相続関連のトラブルについて、解決策を自分ごとのように提案できることが何よりの喜び。
現在は、弁護士法人化し、所属弁護士数が3名となり、事務所総数6名体制。不動産・建設・相続・事業承継と分野ごとに専門担当弁護士を育成し、より不動産・相続関連分野の特化型事務所へ。2020年4月の独立開業後、1年で法人化、2年で弁護士数3名へと、その成長速度から、関連士業へと向けた士業事務所経営セミナーなどの対応経験もあり。